ラベル 小論文 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 小論文 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2007年10月9日火曜日

時事ネタ小論文?

月に一度は更新しないとね。というわけで時事ネタ・・・

最近、少女が父親を殺害するという事件に関連して、なんとかいうアニメ(『ひぐらしのなく頃に解』)が槍玉にあがって、放映中止になったんだそーな(遅いな)。それにしても、なぜアニメばかりが叩かれるのか、ほかに「有害」なジャンルは考えられないのか。
ところで近頃うちでは父が時代劇にはまっているのだが、よく考えたら時代劇というのは人が平気で刀を振り回している恐ろしいドラマである。同じ時間帯で放映される現代劇のサスペンス物などとは比較にならないほどたくさんの人間が殺される(しかも、最後の四分の一くらいで大虐殺が!)。辻切りなどの快楽殺人、ごむたいな悪代官の性犯罪など、その描写は現代より過激とさえ思える。「時代劇は大人しか見ない」という見方もあるだろう。だが、時代劇を楽しむこどもも確かに存在する。私が小学生の時に、クラス内で「必殺仕事人ごっこ」が流行っていた。「必殺シリーズ」など、虐殺の博覧会みたいなもんだ。それに、青少年の犯罪ばかり注目されているが、実は(時代劇の視聴者の中核をなすとされる)中高年の犯罪率の高さがもっと指摘されていい。時代劇の残虐さが、近ごろの凶悪犯罪に影を落としているとは、なぜいえないのか。
「ボーリング・フォー・コロンバイン」で、校内銃乱射犯が犯行直前にボーリングをしていたのだから、ボーリングと犯行の間に何か影響があるだろう、と言ってみせたマイケル・ムーアではないが、安易にアニメが槍玉にあがるのを毎度毎度見せ付けられると、こうも言ってみたくなる。

・・ネタ?。
いや~でも時代劇の残酷さは群を抜いてると思いません?

人気blogランキン
グへ

2007年6月25日月曜日

書評の評

本館のエントリ、http://d.hatena.ne.jp/holyagammon/20061026/1161840880で以前取り上げた本の書評について検討。

感情の鈍磨、白のプードル@『茶色の朝


Bien sûr je pensais au petit garçon que j'avais croisé sur le trottoir d'en face, et qui pleurait son caniche blanc, mort à ses pieds. Mais après tout, s'il écoutait bien ce qu'on lui disait, les chiens n'étaient pas interdits, il n'avait qu'a en chercher un brun. Même des petits, on en trouvait. Et comme nous, il se sentirait en règle et oublierait vite l'ancien.


・・・・
もちろん、むかいの歩道ですれちがった
小さな男の子のことも頭に浮かびはした。
足元で死んでいる白のプードルのために泣いていた。
だけどあの子だってきちんと話を聞けば、
犬が禁止されたわけじゃなくて、
茶色のやつを探せばいいだけだとわかるさ。
子犬だって見つけられる。
そうすれば、俺たちと同じように、
規則を守ってるんだと安心して、
死んじまった昔の犬のことなんてすぐに忘れるだろう。

(仏文http://www.asyura2.com/0401/bd33/msg/758.htmlより)



 『茶色の朝』についてはすでに様々なことが言われていてここで付け加えるのもなんですが・・・ある時代ある国で、猫の増えすぎを防ぐという名目で、茶色の猫以外は禁止する法律ができ、犬も茶色以外は禁止される。そのうち、茶色を守ることが有益だと科学的に証明したと言う科学者のテスト結果を疑っていた新聞社が弾圧をうける。それぐらいしかたないか・・・と思って我慢し、また積極的に順応していた「おれ」や「シャルリー」のもとにも、以前茶色以外の動物を飼っていたということで、当局の手がせまる・・・・
 もちろん「以前茶色の動物を飼っていたこと」を取り締まるのは「事後法」にあたるので、この物語全体が現実にそのまま起こりうることではないだろう。だがそれがこの作品の価値を貶めることにはならない。むしろ全体主義はもっと巧妙に誘導されるし、そうなっていると思わなければならない。「なに色だって猫にはかわりないのに、とは思うが、/なんとかして問題を解決しなきゃならんというなら、/茶色以外の猫をとりのぞく制度にする法律だって仕方がない。」問題を過大に喧伝し、「解決法」をもっともらしいデマとともに提示し、なんとなく仕方がないという空気をつくる。この手法は私たちのくらす社会でもおなじみのものだ。
 さて、上に引用した部分は「茶色に守られた安心、それも悪くない。」というより有名な一文の直後に続く。茶色の猫を飼い始め、規則に順応して生きる「おれ」は、男の子が白のプードルを処分されて悲しんでいるのを見かける。なのに、その「悲しみ」にまったく共感できない、「茶色のやつを探せ」とまで思う。感情が完全に摩滅し、鈍感になってしまっているのだ。
 ところで私たちの社会では、一方で「悲しみ」への共感を訴えることばであふれている。しかしどの事態で悲しまなければならないか、フィルターがかけられている。((イラクで人質になった人の家族の悲しみ、等))この場合なら、死んだのが茶色の犬だったらどうだろう?。おそらく、男の子の悲しみに共感することができるのではないか。順応しない悲しみは「悲しみ」とは認定されない、ということだ。
 規則に順応するとは、感情まで順応させることなのだ。いくら態度や行動を問題にするといっても、規則はいやおうなく感情を支配する。白いプードルの死に悲しむような非公式な感情を、異物として排除し、そのような感情を持つ他者の存在を抹消する、そんな社会にしたくない。


「感情の摩滅、鈍感」というポイントに絞って記述。有名な本なので、異なった観点を提示したい。まあもっと前に言っているひともいるかもしれなくて、恥をさらすことになるかもしれないが・・・。なにか「切り口」がなければ記述が平板になって面白みに欠ける。
本の内容に関する要約を、もっと簡潔に行うべきだった。ちょっと回りくどいカキカタだ。「要約力」に課題があると感じている今日この頃である。「要約」は結構脳細胞をフル回転させる作業である。文全体を理解し、ポイントをおさえて記述しなければならない。反面、これが上達すれば文章力が向上するとされている。
「死んだのが茶色の犬だったらどうだろう・・・」のくだりだが、これは作品に記述がないことなので、論拠は薄いかもしれない。疑問を振ることによって説得力を増すつもりだった。


人気blogランキン
グへ

2007年5月31日木曜日

小論文プロジェクト 1

これは私が数年前に、採用試験として某通信添削会社に提出した小論文である。
立岩真也氏の『弱くある自由』の一節を読んで、具体例に即しつつ800字でまとめさせる問題である。
課題文は、長いので割愛する。

 課題文の筆者は、「自己決定」の主張は「迷惑をかけない限り、何をしてもよい」ということだが、この「迷惑」の範囲は、「自己決定」の原理の中に含まれていないので、「どんな自己決定についてどこまで寛容であるべきか」という基準について言及する必要がある、ということを述べている。私は、人が「他者によって与えられた不都合や手間のうち、何を「迷惑」と判断するかは、与えた人が普段からどのように認知されているかによるのだと考える。
 課題文中の例にもあるように、筆者の念頭には、身体の障害のために、あらゆる行動に他者の協力が必要な人々の場合がある。筆者も言うとおり、本来このような協力活動は「迷惑」ととらえられても不思議ではない。しかし、普通私たちはそのような場合に「迷惑をかけられた」とは見なさない。むしろ、ボランティアやヘルパーなどによる介護等の必要性が当然のこととして盛んに論じられている。
 一方、例えばあるスポーツクラブに所属している人が、不可抗力の事故で試合に出場できなくなったときに、「チームに迷惑をかけた」と発言する場面をよくみる。多くのチームメイトも「迷惑」をかけられたと感じるようである。これは、「迷惑」が不可抗力に起因するということでは前者と共通する。それでも反応に違いが出るのは、後者が普段は周囲の人々に自己責任をとれるとみなされている人物であるからである。
 このことは私たちは、責任のとれる人とそうでない人を普段の状態により区別し、違った対応をすることを習慣づけられているということを示している。このことは一方で、自己責任がとれないとみなされた人々が、できうる限りの能力を発揮して自立する際の足かせになっている可能性がある。私たちが「共生社会」を実現していくために変えていくべきことの一つであると思われる。


これは一次試験の問題であり、それは通過したのだが、よく合格したものだと思う。
まず、論述のポイントを絞っているのはいいとして、小さくまとまりすぎて、「だからなんなの」といわれかねない点。重箱のすみをつつくようなテーマ設定なのだ。
そして視野が広くない。事前に各個人に貼られたレッテルにより「迷惑」の範囲が違うという指摘から、「自己責任がとれないとみなされた人々」だけではなく、後者の方にも不都合が出てくるのではないか、と今では考えて、そちらのほうに論を膨らませるだろう。
この具体例は、普段から「なんかな~」と思っていたことをストックしていたものを使用したのだが、本番の試験にはそういう都合のよい例が見つからないかもしれない。
ちなみに二次試験は不合格だった。無理もない。



人気blogランキングへ

2007年5月4日金曜日

小論文の勉強で読んだ本

小論文の勉強で読んだ本の一部

『議論のレッスン』福澤一吉 日本放送出版協会 2002
『伝わる・揺さぶる!文章を書く』山田ズーニー PHP研究所 2001
『「考える」ための小論文』西研・森下育彦 筑摩書房 1997
『読み書きの技法』小河原誠 筑摩書房 1996
『「超」文章法』野口悠紀雄 中央公論新社 2002
『日本語の作文技術』本田勝一 朝日新聞社 1982
『知的複眼思考法』刈谷剛彦 講談社 2002
『考える力がつく「論文」の書き方』小阪修平 大和書房 2003

ほかにも図書館で借りたりした。
こうしてみると見事に傾向が出てしまっている気がする。やはり、受験系に偏っていて、就職活動の自己アピールの比重が低いのは否めない。おいおい、あのひとがないぞ!と思われるかも知れない。そうである、樋口裕一氏の書籍は入っていない。

人気blogランキングへ

2007年5月3日木曜日

クビになった小論文添削者向上作戦について

私は過去に高校生対象で小論文の在宅添削者をしていたことがあったのです。いや~、履歴書を提出して合格したときには「うそ~」という感想でした。しかしながらなんとか2年ほどがんばりましたが、まあ、クビとなったのですが。
小論文についてグーグルでいろいろ検索してみました。ぐーぐるさんありがとう。
小論文の書き方
小論文 テーマ
小論文 例文
小論文 例
小論文の自動採点ソフトまであるのか。どのよおなメカニズムになっているのか?

このシリーズの方針としては、
例題を何らかの資料(書籍(赤本・ハウツー本等・ネットなど)から引用して、自分で解答を作成し、その上で自ら突っ込みをいれたり、突っ込みをいただいたりする。
ということでいきたい。
よろしくお願いいたします。

人気blogランキングへ