2007年5月31日木曜日

小論文プロジェクト 1

これは私が数年前に、採用試験として某通信添削会社に提出した小論文である。
立岩真也氏の『弱くある自由』の一節を読んで、具体例に即しつつ800字でまとめさせる問題である。
課題文は、長いので割愛する。

 課題文の筆者は、「自己決定」の主張は「迷惑をかけない限り、何をしてもよい」ということだが、この「迷惑」の範囲は、「自己決定」の原理の中に含まれていないので、「どんな自己決定についてどこまで寛容であるべきか」という基準について言及する必要がある、ということを述べている。私は、人が「他者によって与えられた不都合や手間のうち、何を「迷惑」と判断するかは、与えた人が普段からどのように認知されているかによるのだと考える。
 課題文中の例にもあるように、筆者の念頭には、身体の障害のために、あらゆる行動に他者の協力が必要な人々の場合がある。筆者も言うとおり、本来このような協力活動は「迷惑」ととらえられても不思議ではない。しかし、普通私たちはそのような場合に「迷惑をかけられた」とは見なさない。むしろ、ボランティアやヘルパーなどによる介護等の必要性が当然のこととして盛んに論じられている。
 一方、例えばあるスポーツクラブに所属している人が、不可抗力の事故で試合に出場できなくなったときに、「チームに迷惑をかけた」と発言する場面をよくみる。多くのチームメイトも「迷惑」をかけられたと感じるようである。これは、「迷惑」が不可抗力に起因するということでは前者と共通する。それでも反応に違いが出るのは、後者が普段は周囲の人々に自己責任をとれるとみなされている人物であるからである。
 このことは私たちは、責任のとれる人とそうでない人を普段の状態により区別し、違った対応をすることを習慣づけられているということを示している。このことは一方で、自己責任がとれないとみなされた人々が、できうる限りの能力を発揮して自立する際の足かせになっている可能性がある。私たちが「共生社会」を実現していくために変えていくべきことの一つであると思われる。


これは一次試験の問題であり、それは通過したのだが、よく合格したものだと思う。
まず、論述のポイントを絞っているのはいいとして、小さくまとまりすぎて、「だからなんなの」といわれかねない点。重箱のすみをつつくようなテーマ設定なのだ。
そして視野が広くない。事前に各個人に貼られたレッテルにより「迷惑」の範囲が違うという指摘から、「自己責任がとれないとみなされた人々」だけではなく、後者の方にも不都合が出てくるのではないか、と今では考えて、そちらのほうに論を膨らませるだろう。
この具体例は、普段から「なんかな~」と思っていたことをストックしていたものを使用したのだが、本番の試験にはそういう都合のよい例が見つからないかもしれない。
ちなみに二次試験は不合格だった。無理もない。



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2007年5月22日火曜日

すきずき

私はなんらかの物事の好悪を表明(「告白」と書いてやめた)することが非常に苦手である。「ジャズ好き」とか、ブログ上で発言しているわけであるが、これはブログだから可能なのであって、リアルではまず不可能といっていい。とくに「好き」は困難を伴う。それに付随する私の属性については特に語るべき言葉を持たないが(なんだそりゃ)、それを言う事は、他人に対して私は「~好きの人間」という属性として認識されるということを意味するわけである。それが非常になにか、その他人に自分が「支配」されているような関係に入ったように思ってしまう。つまり今後私はその人の前では「~好きの人間」でいなくてはならないのである。これは私にとって非常に息苦しい状態である。
その原因として私が記憶しているのは、ある小学校での出来事である。小学校低学年のある図工の時間に私はある絵を描いていた(何の絵かは忘れてしまった)。すると、先生が近づいてきて「~の絵を描いているの?」とたずねた。普通のたずね方である。わたしは「うん」だか「はい」だかこたえた記憶がする。しかし、それから、わたしはその絵を描き続けにくくなった。なにか、自分の描いていたものと、たずねられたものが違ったような気がする、あるいは、たずねられることによって、自分の描こうとしたものが別のものにずれてしまったのか。奇妙な違和感にとらえられた。
上記のできごとは、もちろん、私が物事の好悪を表明することに関する困難さに関する物語として捏造したか、あるいは、特別にフレームアップされていることが考えられなくはない。このような場所があれば、同様の出来事や不都合が起きたときに、いつでも逃げ込めるからである。
人間関係一般として、趣味嗜好などを手がかりとして関係の糸口をつかむことは、よくあるだけでなく、必須でさえある。また、このようにして知った情報によって、本当に当該の他人の支配をもくろむ種類の人間も確かに存在する。どんな形にしろ、個人の情報を公開するということは、他人に支配させる危険をおかすことになるのは確かだと考えられる。
記憶をメンテナンスして他人の理解と自己認識とを一致させれば支配することにはならないのか?。そうではあるまい。それもなにか気持ち悪い。平凡な結論になるが、他人とは決して理解できないものだと認識しておくことがカンヨウかと思うのである。ああへいぼん・・・

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2007年5月15日火曜日

楽器について

昨日、ナイターが始まる前に、スペインの「ガイタ」を作る職人について15分程度の短い番組が放送されていた。「ガイタ」はスペインの北部、ガリシアやアストゥリアスといった地方で演奏されているバグパイプの一種である。おなじケルト文化圏である、スコットランドにもバグパイプはあるのだが、スペインでは歌や踊りの伴奏として使用され、スコットランドでは軍隊の行進曲の演奏に使われた。どっちかというとスペインのガイタ曲は陽気な感じがするのは、そのような背景があるからだろう。ガリシアのガイタ奏者には、カルロス・ヌニェスらが日本でも知られている。
その「ガイタ」だが、最近まで、「私がもし金銭的余裕ができれば何を買いたいかランキング!」の上位につけていた一品である。なぜって、バグパイプはともかく、ガイタを日本で演奏している方などそうはいないだろうし、ストリートでも注目を集められるだろう、という理由である。なんでストリートで注目を浴びる必要などあるのだ。ストリートミュージシャンはやったことは、実はない。しかし、願望だけはあるのだな実際、かなり前から・・・。
高校時代、かつて北国の大学でラガーマンをしていたという社会科の先生がいた。世界史の担当で、あらゆる国々に旅行されていた。厳戒のイスラエル入国や、シベリア鉄道でユーラシア横断など、授業中の雑談が楽しみだった。それであるとき、旅先で現金を調達する方法について話題になったことがある。東欧がまだまだ民主化されず、西側の資本が入っていないころの話だが、古いジーパンを持っていくとかなりいい値段でうれるとか。また、「漢字」がヨーロッパ人には珍しいので、帽子や服に漢字で名前を書いてあげると喜ばれる。たとえば「スーザン」なら「崇山」というふうに。現在でも、意味不明の日本語をTシャツにプリントしている外国人を目にすることがある。
そんな中でこの先生が、「今度外国に行く前に、尺八を習っておこうと思う。外国で現金がなくなったら、これで投げ銭をもらう。尺八は日本的なものだし、絶対うけるはず」と発言した。なるほど、と自分でも思った。このことはいつまでも覚えていた。そして、実際に尺八を購入しようとも考えたことがある。しかし、尺八は尺八である。都山流だの、ナントカ流だの、師匠について修行しなくては、やはり我流ではまずいだろう。それに、湿度の管理が難しく、雑に扱えば裂けてしまうこともあるという代物である。いつしか尺八は断念した。
近くの駅前でも、ペルーかボリビアから来日したフォルクローレのバンドをよく見かけるが、結局、そのエスニックなテイストが「投げ銭」の価値を幾分か押し上げていることは否めないだろう。尺八にしろ、民族的な楽器を演奏してやろうという志向の中にそういう不純な動機が含まれていたことは否定しない。それで海外をサバイバルできるなら越したことはないし、あわよくば「文化交流」にもなるだろう。しかし、国内でサバイバルするために外国の珍しい楽器を日本人が演奏するというのはどうなのだ。・・・まあ「こんな楽器もありますよ~」みたいな話題にはなるか。そして、そのストリートミュージシャンの市場価値は、少しの間高まるかもしれない。彼の演奏技術がどのようなものかわかるまでの間ね。
かなり話題がずれてしまいとりとめのない話になってしまった。今現在ほしい楽器はあることはあるが、練習する余裕の方がないのである。ときおり湧き出てくる「楽器ほしい」ブームも今は封印中である。

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2007年5月9日水曜日

ジャズはじめ:1

小学生のころに、子ども聴くラジオ番組っていったいなんでしょうね?。無着先生の登場する「こども電話相談室」でしょうかね?(無着先生がスゴイ方だとわかるのはもっと後の話だ)。野球好きの子供ならナイター中継を聞くだろうし、短波の株式市況なんて聴いていた子どももいるかもしれない。しかし、FM放送というのは、これは個人的なことなのかもしれないが、あんまり子どもには縁のない世界である(としておく)。谷口キヨコがしゃべるおひるの番組には、風邪引いたときくらいしか縁がないだろうし。FMとの接点ができるのはロック系の音楽番組視聴だろうと勝手に推測する。まああれくらいにぎやかに、Fankyにやってくれれば問題はないのである。
私の場合、FMとの出会いというのが、どうやら、ジャズだったらしい。「どうやら」というのは、そのへんの記憶がはっきりしないからである。しかし、ジャズ@FMというのが私のFM体験の最初であった(らしい)ことが、両者に対する印象を決定付けていた。
もっとぼんやりした印象しかないその、初「ジャズ@FM」という体験で、私は、FM放送のクリアな音声に、というよりクリアな「沈黙」に、言いようのない不安感を覚えたわけである。同時に、そこで演奏されていた(らしい)「ジャズ」にたいしては、「世界が滅亡する前の日みたいだ!」という印象を持つにいたった。冷戦もまだ終わっていない、米ソ核戦争の危険が喧伝され、のストらダムスの予言も「健在」であったころである。世界的問題の影響を心理的に与えたられていたのかどうかはしかし定かではない。
というわけで、現在でも、ジャズはラジオで聴くことを習慣にしている。そして、演奏に関しては、音がどうのこのというより、音と音の間の「沈黙」あるいは、「余白」が感じられるかどうかを判断基準にしている(つもり)。
本当に記憶がはっきりしない、「最初に聴いたジャズ」は、いったい誰だったのか、今となってはまったく探すことはできない。なにせ曲名も、テーマのメロディも一切覚えていないがただ「沈黙」だけが記憶に残っているだけなのだから。
しかし、しいてめぼしをつければ、やはりマイルス・デイビスなのかなと近頃思っている。

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2007年5月4日金曜日

小論文の勉強で読んだ本

小論文の勉強で読んだ本の一部

『議論のレッスン』福澤一吉 日本放送出版協会 2002
『伝わる・揺さぶる!文章を書く』山田ズーニー PHP研究所 2001
『「考える」ための小論文』西研・森下育彦 筑摩書房 1997
『読み書きの技法』小河原誠 筑摩書房 1996
『「超」文章法』野口悠紀雄 中央公論新社 2002
『日本語の作文技術』本田勝一 朝日新聞社 1982
『知的複眼思考法』刈谷剛彦 講談社 2002
『考える力がつく「論文」の書き方』小阪修平 大和書房 2003

ほかにも図書館で借りたりした。
こうしてみると見事に傾向が出てしまっている気がする。やはり、受験系に偏っていて、就職活動の自己アピールの比重が低いのは否めない。おいおい、あのひとがないぞ!と思われるかも知れない。そうである、樋口裕一氏の書籍は入っていない。

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2007年5月3日木曜日

クビになった小論文添削者向上作戦について

私は過去に高校生対象で小論文の在宅添削者をしていたことがあったのです。いや~、履歴書を提出して合格したときには「うそ~」という感想でした。しかしながらなんとか2年ほどがんばりましたが、まあ、クビとなったのですが。
小論文についてグーグルでいろいろ検索してみました。ぐーぐるさんありがとう。
小論文の書き方
小論文 テーマ
小論文 例文
小論文 例
小論文の自動採点ソフトまであるのか。どのよおなメカニズムになっているのか?

このシリーズの方針としては、
例題を何らかの資料(書籍(赤本・ハウツー本等・ネットなど)から引用して、自分で解答を作成し、その上で自ら突っ込みをいれたり、突っ込みをいただいたりする。
ということでいきたい。
よろしくお願いいたします。

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2007年5月1日火曜日

4月に読んだ絵本

四月に読んだ絵本をご紹介。少ない傾向が続いている。これではいけない。

  1. 『あいつもともだち』内田麟太郎 降矢なな 偕成社 2004
  2. 『いっぱいいっぱい』トリシュ・クック ヘレン・オクセンバリー 木島始 ほるぷ 1995
  3. 『ホームランを打ったことのない君に』長谷川集平 理論社 2006
  4. 『まるいぬ まるいぬ』ケビン・ヘンクス ダン・ヤッカリーノ 灰島かり BL出版 2006
  5. 『とんとん!とをたたくのはだあれ?』サリー・グリンドレー アンソニー・ブラウン 灰島かり 評論社 2003
  6. 『ドラゴンだいかんげい?』デイヴィッド・ラロシェル 脇山華子 長友直子 徳間書店 2004
  7. 『にっこりねこ』エリック・バトゥー 石津ちひろ 講談社 2005
  8. 『にゅるぺろりん』谷川俊太郎 長新太 クレヨンハウス 2003
  9. 『こわいものしらずのジャン』アラン・メッツ 石津ちひろ 長崎出版 2006
  10. 『うるわしのセモリナ・セモリナス』A・Lマンナ C・ミタキドゥ G・ポター きむらゆりこ BL出版 2000
  11. 『うそつきなチルル姫』松井つかさ 星色スプーン 郁朋社 2000
  12. 『エマおばあちゃん』ウェンディ・ケッセルマン バーバラ・クーニー もきかずこ 徳間書店 1998
  13. 『おうじょさまのぼうけん』エルサ・ベスコフ 石井登志子 フェリシモ 2002
  14. 『おひるのアヒル』中川ひろたか 村上康成 PHP 1999
  15. 『かえるのあまがさ』与田準一 那須良輔 童心社 1977
  16. 『カーリンヒェンのおうちはどこ?』アンゲネルト・フックスフーバー 池田香代子 一声社 2004
  17. 『注意読本』五味太郎 ブロンズ新社 2002
  18. 『せなかにのって』谷内こうた あすなろ書房 2005

7番、バトゥー、まいぶうむです。9番、どっかのピッチャーじゃありません。10,11番、フェミニズム入ってるようですが、10番にはいやみがないです。16番、戦争?で難民になったこどもがあちこち放浪する。最後に受け入れてくれたのは?17番、けっこうあたってます。これをねたにいろいろ書けます。



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