2007年6月25日月曜日

書評の評

本館のエントリ、http://d.hatena.ne.jp/holyagammon/20061026/1161840880で以前取り上げた本の書評について検討。

感情の鈍磨、白のプードル@『茶色の朝


Bien sûr je pensais au petit garçon que j'avais croisé sur le trottoir d'en face, et qui pleurait son caniche blanc, mort à ses pieds. Mais après tout, s'il écoutait bien ce qu'on lui disait, les chiens n'étaient pas interdits, il n'avait qu'a en chercher un brun. Même des petits, on en trouvait. Et comme nous, il se sentirait en règle et oublierait vite l'ancien.


・・・・
もちろん、むかいの歩道ですれちがった
小さな男の子のことも頭に浮かびはした。
足元で死んでいる白のプードルのために泣いていた。
だけどあの子だってきちんと話を聞けば、
犬が禁止されたわけじゃなくて、
茶色のやつを探せばいいだけだとわかるさ。
子犬だって見つけられる。
そうすれば、俺たちと同じように、
規則を守ってるんだと安心して、
死んじまった昔の犬のことなんてすぐに忘れるだろう。

(仏文http://www.asyura2.com/0401/bd33/msg/758.htmlより)



 『茶色の朝』についてはすでに様々なことが言われていてここで付け加えるのもなんですが・・・ある時代ある国で、猫の増えすぎを防ぐという名目で、茶色の猫以外は禁止する法律ができ、犬も茶色以外は禁止される。そのうち、茶色を守ることが有益だと科学的に証明したと言う科学者のテスト結果を疑っていた新聞社が弾圧をうける。それぐらいしかたないか・・・と思って我慢し、また積極的に順応していた「おれ」や「シャルリー」のもとにも、以前茶色以外の動物を飼っていたということで、当局の手がせまる・・・・
 もちろん「以前茶色の動物を飼っていたこと」を取り締まるのは「事後法」にあたるので、この物語全体が現実にそのまま起こりうることではないだろう。だがそれがこの作品の価値を貶めることにはならない。むしろ全体主義はもっと巧妙に誘導されるし、そうなっていると思わなければならない。「なに色だって猫にはかわりないのに、とは思うが、/なんとかして問題を解決しなきゃならんというなら、/茶色以外の猫をとりのぞく制度にする法律だって仕方がない。」問題を過大に喧伝し、「解決法」をもっともらしいデマとともに提示し、なんとなく仕方がないという空気をつくる。この手法は私たちのくらす社会でもおなじみのものだ。
 さて、上に引用した部分は「茶色に守られた安心、それも悪くない。」というより有名な一文の直後に続く。茶色の猫を飼い始め、規則に順応して生きる「おれ」は、男の子が白のプードルを処分されて悲しんでいるのを見かける。なのに、その「悲しみ」にまったく共感できない、「茶色のやつを探せ」とまで思う。感情が完全に摩滅し、鈍感になってしまっているのだ。
 ところで私たちの社会では、一方で「悲しみ」への共感を訴えることばであふれている。しかしどの事態で悲しまなければならないか、フィルターがかけられている。((イラクで人質になった人の家族の悲しみ、等))この場合なら、死んだのが茶色の犬だったらどうだろう?。おそらく、男の子の悲しみに共感することができるのではないか。順応しない悲しみは「悲しみ」とは認定されない、ということだ。
 規則に順応するとは、感情まで順応させることなのだ。いくら態度や行動を問題にするといっても、規則はいやおうなく感情を支配する。白いプードルの死に悲しむような非公式な感情を、異物として排除し、そのような感情を持つ他者の存在を抹消する、そんな社会にしたくない。


「感情の摩滅、鈍感」というポイントに絞って記述。有名な本なので、異なった観点を提示したい。まあもっと前に言っているひともいるかもしれなくて、恥をさらすことになるかもしれないが・・・。なにか「切り口」がなければ記述が平板になって面白みに欠ける。
本の内容に関する要約を、もっと簡潔に行うべきだった。ちょっと回りくどいカキカタだ。「要約力」に課題があると感じている今日この頃である。「要約」は結構脳細胞をフル回転させる作業である。文全体を理解し、ポイントをおさえて記述しなければならない。反面、これが上達すれば文章力が向上するとされている。
「死んだのが茶色の犬だったらどうだろう・・・」のくだりだが、これは作品に記述がないことなので、論拠は薄いかもしれない。疑問を振ることによって説得力を増すつもりだった。


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2007年6月24日日曜日

住 2

住 1のつづき
もうひとつ、狭小住宅といえば「ちいさいおうち」(バージニア・リー・バートン作・絵 石井桃子訳 岩波書店 1965)であろう。正面から見ると、中央に玄関、その両側に大きな窓を配した、ほとんど「かお」のちいさなかわいい家が主人公のこの絵本を愛読していた。いったい内部はどのような間取りで、どのような家具が置かれていたのか、興味をそそられた。余談ではあるがこのバージニア・リー・バートンの他の作品を見てみると、技術が身の丈程度であったころの機械に愛着や郷愁を感じさせる作品が多く、そういうところ(だけ)は宮崎駿に近い。
緑豊かなのどかな岡の上に建てられたちいさくて頑丈な家が、周囲が開発されいつの間にか(ニューヨーク風の)摩天楼の間に取り残されてしまう。ビルの間でみすぼらしく寂れていたちいさいおうちを、子孫が発見し、再び、家ごと(トラックで!)美しい田舎の丘の上へ移築して、めでたしめでたしというおはなし。
私は実は、現在絵本の読み聞かせボランティアなどに参加しているのだが、幼稚園や小学校低学年など、一般に絵本に親しむべきといわれる時期は、あまり多くを読んでいない。そのかわり、お気に入りの数冊を大事にした。この本もその一つである。そうして親しんだ本の影響は、やはり大きくその後の思考形成に残存するのだ。私は小さいころはアウトドア志向だった。休みごとに郊外へでかけ、木々や岩石に親しんだし、「かんきょうもんだい」にも、なんとなく興味を持っていたように記憶する。かえって現在のほうが絵本を濫読しているのだが、「お気に入りの数冊」にまさる印象を与えた本は少ない。
余談だが、ちいさいおうちの持ち主は、4代にわたって固定資産税を払い続けていたのだろうか。アメリカには固定資産税があるのだろうか。そのへんのところは調べてみないとわからない。
アメリカ 固定資産税 の検索結果
固定資産税はあるらしい。


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2007年6月10日日曜日

どうも更新ができない件について

これまでひと月以上、ほんかくえっせいぶろぐを志向していましたが、これまで、これで10件目のエントリにとどまっております。そのうち、絵本リストなどもあるので、長文(といえるものではないが)のエントリは3つ程度ではないか。これではいけない。本館携帯別館の更新もあるが、ここは目標を定めたブログであり、それを破ってはならないという意思をここで確認することにする。

しかし、何がブログ更新を妨げているかといえば、ネタを発見する力というより(それも大いにあると思うが)それを文章に展開する能力だろう。本館も含めて、現在もカキカケのエントリがあるのだが、日常生活の中でネタを発見しても、キチットおちをつけるまでに至らない。また、執筆の途中で展開の方向性を転換したほうがおもしろい文章になることが判明し、アップを保留にすることもある。

まあいってしまえば、「あたまの回転」の問題だろう。そういえば、私は日常会話の場面でも、よく、会話や面接が終わった後に「あ、あれも言っておけばよかったのに・・・」と後悔する性質なのである。ブログ運営は、エントリやコメント欄を含めて、双方向性の高いメディアである(はず)なので、顕在的あるいは潜在的な「会話力」のないものには務まるシゴトではないのかもしれない。

よく考えてみたら、こういう自省的なエントリが多い。これはあまり読んでくださる方にとって面白くないことだろう。これも反省して(また反省orz)先へ先へとこのブログは進んでいくのであった・・・。

こういう愚痴でもどなたかのブログ生活に参考となれば幸いなのであった・・・。

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住 1

ある日、新聞欄を見ると、“激セマ物件”という文字が目に付いた。“激セマ物件”といえば「狭小住宅」か、あるいは、一昔ふた昔前の学生用賃貸アパートのような、四畳半・トイレとキッチン共同といった物件だろうか。ところで歴史的な狭小住宅といえば、やっぱり“方丈の庵”である。“方丈の庵”は、鎌倉時代、「方丈記」を執筆したことで知られる鴨長明が、京都・日野山にて隠棲した庵である。方丈とは、でぐぐるこのへんがでてくる。そこの松岡正剛氏によると「方丈とは、一辺が一丈の正方形を言います。一丈はおよそ3メートルで、六畳間よりちょっと小さいくらいですね。」とある。ははあ、四畳半よりも大きいのか。思ったより広い。

さらにネットで探索すると(1ページ目にあったのだが)aki's" STOCKTAKINGというブログが見つかり、そこでなんと“方丈の庵”のレプリカが京都の下鴨神社で復元・保存されていることがわかった。その次のエントリに何枚か写真もアップされている
平面図

つづく

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2007年6月2日土曜日

5月に読んだ絵本

5月に読んだ絵本です。5冊しかありません。反省。

  1. 『ルラルさんのほんだな』 いとうひろし ポプラ社 2005
  2. 『ロンパーちゃんのふうせん』 酒井駒子 白泉社 2003
  3. 『4こうねんのぼく』 ひぐちともこ 草炎社 2005
  4. 『わがままろぼっと』 和歌山静子 童心社 1999
  5. 『ワン』 越野民雄 ラッセル・ブラックウェル AFLAC 2001

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